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活動目標



《本気で「頑張る」ということ》(H29/3/6)

「剣道を通じて、この国の未来を担う人材を育てたい。」これが、養浩館道場設立の目標です。 

 日々、自分なりにやれる努力を積み上げていった結果として一定の到達点に達することも確かに「頑張る」ことではありますが、それで目標を達成したり、自分の殻を破ることは難しいのではないかと思います。目標を掲げ、目標達成に向けて本気で「頑張る」ということは、目標を達成するのに必要なレベルと今の自分のレベルとの差を明確に認識した上で、残された期間内でその差を埋めるために必要な努力を逆算してはじき出し、どれだけ苦しかろうと、無理する必要があろうと、それをこなしていくことが必要です。その経験を積んだ子と、積んでいない子とでは、将来における成長力が全く違ってくるのではと思います。「頑張る」という言葉の持つ意味が全く異なると考えています。

 そうして高い水準で「頑張る」ことを覚え、その成果として、技量の上達や大会での上位入賞を勝ち取ることで、「しんどいけれども頑張ることの楽しさ」を実感することが出来ます。そういった成功体験を積んだ子は強いでしょうし、それを積ませることが、道場の役割と考えています。

 子どもたちには、毎年、自分で明確な目標を決めてもらいます。その上で目標達成に何が必要かを、学年毎のチームディスカッションを通じて自分たちで考えさせ、発表してもらいます。そして、毎日、その日の稽古で目標達成のために必要な稽古が出来たのかを振り返った上で、みな、自分の意志で後半の選択稽古への参加不参加を決めてもらうようにしています。

 現在、目標達成を念頭に、高学年の選手となれば、年間50試合強遠征に参加していますが、いずれの遠征も、日に15〜20試合行います。それだけの試合数を集中してこなすのには、相当の集中力が必要です。一度でも集中力が途切れると、その日のうちに挽回することは難しく、あっという間に負けが込んでいきます。一日に何十試合もこなしながら集中力を切らさない訓練を積むことで、何事に対しても集中力を発揮できるように育つと考えています。また、多忙な時間を必死にやりくりして勉強と剣道を両立し、宿題や学校の提出物あるいは定期試験勉強を着実にこなす訓練を積んできた子が、いざ中学校の部活を引退し、受験勉強に集中した時には、とんでもない集中力と爆発力を発揮します。

 社会に出ると、人が嫌がるような仕事でも、必要な仕事、大切な仕事であれば進んで取り組むことが出来れば、周りから信頼され、必要とされるようになります。早朝からの遠征や厳しい稽古、あるいはチームみんなで決めた坊主頭でも、必要なことには逡巡せずに取り組む訓練を積むことで、そういった力を育てることが出来ると考えます。

 また、いくら頑張ってもなかなか勝てない苦しい時期というものは誰にでもあります。頑張っている子ほど、勝てない状況に対する悩みや苦しみは深く大きくなるわけですが、そんな状況でも、ただ指導者や大人から助言やサポートが与えられ、教えられるだけでなく、自分の頭で考え、工夫する経験を積んでもらうことで、自分の力で成長する力を育てたいと考えています。そして、そういう時期を経験し、乗り越える経験を積むことで、困難に負けない逞しい心が育つと考えます。


《何より怖い「努力が報われない経験」》(H25.3.7)
 
小年期に「努力が報われない経験」をしてしまうと、自分を信じることができなくなり、頑張ることが無意味に思えたり、時には頑張ること自体が怖くなったりすることがあります。結果が出ないで落胆している姿ばかり想像してしまうからでしょう。
 私は、どんな競技においても、週に一度や二度のぬるい練習で「努力は報われる」と感じるのはなかなか難しいのではないかと思います。子供が他人との比較で自分の努力の程度を評価することはなかなか出来ません。大人から見れば「この程度の練習でどんどん上達出来るとは思ってないだろう」と思っていても、子供は自分では頑張っているつもりなのです。頑張っているのになかなか強くなれない、大会に出ても負けてばかり・・・。子供がこんな思いをしているとすれば、「どうせ自分は、頑張ったってダメなんだ。」といった「努力が報われない経験」を粛々と積み重ねてしまっていることになります。

 成功体験を積むことなく成長した子は、長期的な見通しが持ちづらく、「(将来のために)いま自分にできることを一生懸命やる」ことが苦手です。また、成功体験のない子は失敗を糧にすることが出来ません。てっとり早く満足が得られることばかりに気が向いてしまいます。「部活なんて頑張って何の意味あんの?」と言いながら、友達とつるむことでしか自分の存在が確認出来なかったり、「勉強なんかして何の役に立つの?」と言っては部屋にこもってテレビゲームやネット世界に没頭。この子たちは、努力が落胆を招くことが怖くて一生懸命になれないのです。そんなさめた子をつくってしまった責任の大半は大人にあります。
 中でも、私は、安易な中学受験は何より危険と感じています。本来であれば、失敗を糧にすることが出来る健全な成功体験を十分に積むべき時期に、周りがそうだからと明確な方針もないまま「とりあえず」的に塾通いを始め、空いた時間で穴埋め的にいくつかの習い事をさせ・・・。その結果、万が一、受験に失敗したとすれば、その子の将来はどうなるのだろうと思います。中学受験は一発勝負です。再挑戦はききません。また、塾の仲間がいると言っても、基本的には一人です。結果を仲間と共有することは出来ません。大切な少年期に、そんな孤独な戦いを強いることにより、何を狙うのか。中学受験を志す家族には、そんな問いに対する明確な答えが必要ではないかとと思います。

 先日、六年生中心の主力チームとしては最後の試合に出場してきました。終わった後の全体ミーティングの際、「ここまでよく頑張った。ご苦労さん。」という言葉を発した瞬間、こみあげる涙をこらえるのに必死で、次の言葉を発することが出来ませんでした。殆ど毎日ある厳しい稽古に耐え、来る日も来る日も早朝から遠征に行き、本当によく頑張ったと思います。六年生たちは4月から中学校に進学しますが、養浩館で稽古してきた子は、中学校の部活でも、きっと、はつらつと頑張ってくれることと思いますし、みんなしっかり勉強と両立してくれると思います。

 私は、「努力は必ず報われる」とは考えていません。残念ながら、どんなに頑張っても、目標に手が届かないことだってあります。でも、頑張った子供たちが、何らかの形で「報われた」と感じてくれたなら、或いは、自分で「俺、頑張ったよね」、「うち、よくやったよね」と自分のことを誇らしく思ってくれたなら、私も一緒に頑張った甲斐があります。

 
《頑張るって楽しいかも?!》(H25.3.5)
 
小年期に頑張ることの楽しさを経験した子は、その後の成長過程で放っておいても自分から頑張るようになります。養浩館では、何より、子供たちに頑張ることの楽しさを身をもって経験させてあげたいと考えています。「こんなきつい稽古、うちの子はとてもじゃないけどついていけない」そう心配する親御さんを尻目にさらりと稽古を乗り切れた時、子供は「頑張るって楽しいかも」と感じます。
 そんな稽古の日々の積み重ねによって、自分でもびっくりするような技で一本とれた時、全く歯が立たなかった相手やチームに勝てた時、子供たちは素直に感動します。そして、「頑張るって、きついけど楽しい」と感じます。小学生くらいの年頃でこういった健全な成功経験を積んだ子は、その後の成長過程で、様々なことに積極的に取り組み、自ら進んで頑張るようになります。部活や学校行事でも自然と中心的な役割を果たすようになり、受験勉強では目を見張るような頑張りを見せます。
 「うちの子には無理じゃないかしら…。」そんなことはありません。子供は、親御さんが思っている以上に頑張れるものなんです。実は、いま養浩館に来ている子たちも、半分くらいは、始めのうち毎日べそをかきながら通ってきていました。そんな子たちも、1か月もすれば元気に明るく稽古に来るようになります。そして、半年もすれば顔つきが変わってきます。どんな厳しい稽古もけろりとこなすようになり、本当にたくましくなります。是非、子供さんを信じてあげてみて下さい。

《親の責任》(H25.3.3)
 私も家内も、子供たちに「今日なに食べたい?」と思わず聞いてしまってから反省することがよくあります。食育の重要性が叫ばれる中、好きなものに偏った食事が子供に良いわけがありません。必要なものを好き嫌いなくバランス良く食べさせることが必要であり、正しい食事をさせることは、「親の責任」です。同様に、欲しがるからとテレビゲームやDSを次々と買い与えていては、まともな子が育つとは思えません。小学生、特に低学年くらいの子供では、本当に必要なものかどうかの見分けは自分ではつかないものです。「今のうちからこれをやっておいた方が得」といったような目先の損得勘定ではなく、親がこれまでの人生経験を総動員して見極めた上で本当に必要だと思えるものであれば、「親の責任」で与えるものがあって良いはずだと私は思います。
 実をいうと、他のスポーツと違って、剣道は子供から進んで「剣道がやりたい!」と言って始める子が非常に少ないという特徴があります。野球やサッカーやテニスは、その生い立ちは「ゲーム」です。「スポーツ」の語源が「気晴らし」や「楽しみ」であることからも、基本的にはやっても見ても楽しいものなのですが、一方の剣道は、その生い立ちが武士の「鍛錬」です。正直、やっていて楽しい「ゲーム性」はありませんし、素人の方が見ていてもよくわからないところがたくさんあります。でも、やり始めると「一生モノ」的に「はまってしまう」人が多いのも事実です。

 こんな話を何かで読んだことがあります。何十年か前の「親が子に望むこと」というアンケートでは、「立派な大人になって欲しい」或いは「社会の役に立つ人間になって欲しい」という主旨の回答が上位であったところ、最近では、「幸せであって欲しい」という主旨の回答が上位に来るとのこと。昔の日本は貧しかったからでしょう。我が子を、自分の力で生きてゆける強い人間に育てなければという強い責任感が親にはあったのだと思います。今の日本は豊かになりました。少子化もあって、厳しくしつけたり指導したりするよりも、親子で一緒に楽しい時間を共有することを重視する親が増えたのではないかなと思います。「厳格な父」が絶滅危惧種となり、「ともだちのように仲の良い親子」が増えている。「将来の成長」よりも「いまの幸せ」を重視するから、子供にかかる負荷は、それが長い目で見れば子供の成長に必要なものであっても親がすぐに取り払う。何をするにもすぐに手を貸したり、先回りして露払いをする。加工食品や精製された食品ばかり食べていると強い子供は育たないそうですが、それと同じ現象がいたるところで起きているのではないかと思います。
 「子供を育てる」とは、子供にかかわる大人たちが「子供の将来に責任を持つ」ことだと私は考えています。

《仲間トトモニ》H24.10.9
 10月6日・7日と、九州小倉で開催された第30回全日本小中学生剣道女子個人錬成大会に参加してきました。残念ながら目標としていた優勝には手が届きませんでしたが、またひとつ子供たちから大切なことを教わりました。
 大会参加を目前に控えた道場での稽古終了後、大会に旅立つ選手に対し、子供たちからそれぞれ思い思いの応援文を書いた寄せ書きが手渡されました。この子は、これまでは、試合前に、「絶対勝ちたい!」とか「頑張る!」といったようなことを言ったことがなく、どんなに大きな試合で勝っても、大切な試合で負けても比較的ひょうひょうとしている子でしたが、今回は、試合の直前まで、みんなからもらった寄せ書きを何度も何度も眺めては、「みんなのために頑張る」、「みんなと頑張る」と、ずっと言っていました。そして、奮闘むなしく負けた時は、大泣きしていました。試合で負けて泣いたのは、これが初めてです。
 全国大会出場はみんなで一緒に頑張った稽古の賜物であり、だからこそみんなのために勝ちたいという思い、たとえ一人でも、遠く離れていても、いつも一緒に頑張っている仲間と共にあるという意識、そんな思いや意識を、毎日の厳しい稽古を仲間トトモニ頑張る中で、いつの間にか持つようになっていたんですね。
 「自分のために頑張る」、「○○大会を楽しんできたい」そんな発言がオリンピック選手たちからも聞かれるようになって久しいですが、今回私は、背負っているものがある人は決して弱いわけではないのではないか、「背負っているものがあるからこそ、それが力になる」、「共に頑張っている仲間がいるからこそ、一人ででも頑張れる」、そんなことを子供たちから教えられたように感じました。
 人間は、自分のためだけにどこまで誠実に努力できるものなのでしょうか。個の尊重、個人主義、成果主義が重視される現代の競争社会では、言い訳と不正とごまかしばかりが目につきます。そして痛ましい限りの自殺が後を絶ちません。「仲間トトモニ」頑張り、感動も悔しさも「仲間トトモニ」、そんな子は強いんじゃないか、誰も見ていなくても、いつでもどこでも、誠実に生き、誠実に努力出来るんじゃないか、そんなことを感じました。

《自己満足のススメ》H24.1.18
 「生きる力」を育むためには、子どもたちに、自分に満足(自己満足)できることをどれだけ積み重ねさせてあげられるかが重要だと考えています。「俺ってけっこうやるじゃん…。」「うちってけっこうエライかも…。」と思えることを一つずつ積み重ねてきた子は、自分に自信が持てるようになり、自分のことが好きになります。そうすると、更に自分に満足できることをやろうとするようになり、プラスの順回転が起こり始めます。剣道であれば、子どもが、ちょっとキツイなあ、ちょっと厳しいなあと感じる程度の稽古を毎日こなしていくことで、その順回転は起こり始めると考えています。試合などで結果が出れば、更にその順回転がしっかりと力強いものになっていきます。私が、子どもであっても、楽しいだけのぬるい稽古ではなく、一定の厳しい稽古が必要だと考える理由がそこにあります。いくらその時は楽しくても、ぬるい稽古で自分に満足することはなく、プラスの順回転は始まらないと考えています。
 そして、厳しい稽古を頑張って乗り越えるために一番大事な存在が仲間です。一人では到底頑張れないようなことでも、隣で仲間も頑張っていると出来てしまう。みんなが一緒だと頑張れてしまう。子どもって、そういうところがあります。そうしている間に、いつしか高い意識とともに「頑張るクセ」が付いて、勉強でもクラス活動でも何にでも頑張れるようになります。

 よく、「ここが痛い」「あそこが痛い」と稽古を休もうとする子がいます。私は、基本的には、余程のことがない限り予定の稽古を休むことがないよう指導しています。本当に体調が悪く、無理して稽古すると寝込んでしまいそうだとか、体育でやった捻挫を押して無理に稽古するとどう見ても悪化しそうだというのは、子どもでもある程度分かります。そういう時に無理をしてはいけません。一方で、「今日は寒いなぁ。ちょっと頭も痛いし、稽古休もうかな…。」「今日は気分が乗らないなぁ。そう言えば、前に捻挫した足首もちょっと痛いしな…。」子どもは、そういう気持ちになることが多いものです。それで実際に休んでしまうと、その子はどうしても自分に負い目を感じてしまいます。そして、そんなことが何度か続くと、負い目を感じたくないために防衛本能が働き、自分は本当に病気なんだ、本当に怪我してるんだと思い込むようになり、何をする時も、頑張れない言い訳、出来なかった時の言い訳を、先に考えるようになります。そういう子が自分に自信を持ったり、自分のことを好きになることはなく、頑張る楽しさを知らないために頑張れない、だから成果も出ない、そのうち何もやる気がしなくなる、というように、マイナスのスパイラルにはまってしまいかねません。

《褒めて伸ばす?》H24.1.18
 よく、子どもは褒めて伸ばすべきと言われます。子どもの良いところをしっかりと見て、子どもであっても相手の人格を認めることはとても大切なことだと思います。ただ、モチベーションを上げるために褒めるというのは、子どもにとって、必ずしも良いことだと思いません。子どもは、褒められるとその時は満足しますが、いつしか褒められるために頑張るようになり、誰かが見てくれていないと頑張れなかったり、期待したように褒めて貰えないと不満を感じたりするようになってきます。大人になれば、自分が正しいと信じることでも、周りからなかなか評価を得られないことも色々出てきますが、人からの評価ばかり気にしていては、自分にとって本当に大切なことや、本当にやりたいことを見失ってしまいかねません。
 子どもが自分に満足し、自分を好きになるのに、周囲からの賞賛や評価は必ずしも必要ないと思います。子どもが、「俺ってけっこうやるじゃん…。」「うちってけっこうエライかも…。」と思うのは、誰も見ていない時の方が実は多いんです。