ローマ帝国(プロヴィンキア・ロマーナ)の旅
(現フランス・プロバンス地方)

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 作者紹介;もともと、ルネッサンスの絵画や彫刻が好きでした。ダビンチ、
ミケランジェロ、ボッチチェリー等の作家や、その頃フィレンツェを支配していた
メジチ家の話から始まり、ヨーロッパ各地を旅行すると、必ずローマの遺跡がある
ことに気付き、日本の没落を視野に入れてローマ帝国の勉強をするようになりました。
 近年はローマ帝国をキーワードに北はイングランドの辺境(ハドリアヌスの城壁)、
東はビザンチン帝国の首都コンスタンチノープル(現在のトルコの首都イスタンブル)、
南はローマと対立してハンニバルを輩出したものの破れたカルタゴ、西はスペインと
旅してきました。
 今回も、ローマ帝国視察の旅の一環として、カエサルによって早くからローマ化
されたプロビンキア地方を旅しています。
 フランスの文化、ブランド品とは全く別の視点から見ていますのでその方面は
期待しないでください。


プロバンスへの行き方

 どうやって、プロバンスへ行くか? 2000年前なら帆船かガレー船で
ジャワ-インド-エジプト-オスティア(ローマ)-マッシリア(現在のマルセイユ)
でしょうか。日本からだと3年はかかりそう。
 新潟-ウラジオストック-シベリア横断鉄道-オリエント急行ってのもロマンは
あるかもしれませんが現実的ではありません。

 やはり飛行機のトランスシベリアンルートが一番早いです。時間がかかっても安い
方が良い人はアジア系航空会社(南廻りあり)やアエロフロート(モスクワ経由で大抵
一泊必要)を利用する手もあります。
 今回、私は全日空の成田ーパリ(シャルル・ド・ゴール)NH205便をタダで利用
しました。え!何でタダかって? 昨年後半から超割りなどの割引運賃で日本国内を
あちこち旅行したので5万5千マイル溜まったからです。空港税6千円が自己負担でした。

 他のパリ行きのフライトは、日本航空とエールフランスがあります。大抵のヨーロッパ
行きは、日本を昼頃に出発し、現地に夕方到着します。AF273便のみ成田を午後10時に
出発し、パリに午前4時に到着するので到着日が丸一日使えて便利な場合があります。
 他には、例えばルフトハンザでミュンヘンに飛び、マルセイユに乗り継ぐ事も可能な
ようです、時刻表とにらめっこしながらあれこれ考えるのも旅行の愉しみだと思います。
個人では無理と思う人はツアーを利用してください。

 パリからプロバンスへの行き方としては、航空機と列車があります。飛行機マニア
なので、本来は飛行機としたいのですが、CDG(シャルル・ド・ゴール)からの地方
へのフライトは少なく、大半はオルリー空港が基点です。つまり、CDG-オルリーへの
移動とチェックインを考えると2時間は必要。飛行時間は1時間だとしても、正味3時間
かかるとCDGからTGVに乗るのが正解かも知れません。と言う訳で、TGVに乗った事が
なかったこともあって、今回はCDGからTGVに乗る事にしました。

 すると、どこを基点にプロバンスを廻るかが問題。海辺の休息であれば文句無しに
決まるのですが、ローマ遺跡の探索がメイン。最初、ニームを考えましたが、パリからの
TGVは一日4本しかない。いろいろ考えてアビニオンを基点にする事に決めました。例の
歌に出てくる橋とローマ法王庁があったことで有名です。


TGVの予約法

 詳しくは、ふらつーを見て下さい。
フランス国鉄(SNCF)とは別にTGVのページ(英語あり)があります。

この"Ask about"を押すと、ダイヤを調べる事ができます。


TGV地中海線は

パリ-リヨン-アビニオン、そしてマルセイユの先まで広がっています。


コンピュータ上の検索も楽なんだけど、旅行のプランニング中は印刷物が便利です。


コンピュータ上で検索する場合は、駅名や必要なデータを入れます。

そうすると、


こんな感じでリストが表示されます。
 ここでの注意点は、アビニオンには旧市街の城壁南外に隣接するCENTRE駅と
旧市街から車で15分位南南西に離れたTGV駅があることです。
 上の1例目は、CDGからアビニオンTGV駅までの表示で、2例目はアビニオン
TGV駅から乗り継いでCENTRE駅に行くのが表示されています。そして、コレは
Coachと書いてあるように在来線の列車ではなくバスです。
 3例目はリヨン駅で在来線の急行に乗り換える方法です。時間や乗り継ぎの便を
考慮する必要があります。駅によってはエレベータが無いかあっても壊れていたり
して大荷物を自分で運ばないといけないコトもあります。

 ヨーロッパの都市の大半は、鉄道が発明される前に形成されました。鉄道は蒸気
機関車が煤煙をまき散らすので、駅は旧市街の町外れに建設される事が多かったのです。
ですから、駅を降りても旧市街の中心部までは、石畳の細い道を長距離歩く必要が
あります。それも、ディパック1箇で体力のあるバックパッカーなら歩くでしょうが
重いスーツケースを運ぶと高々数百mでも苦労する事があります。
また、外敵の侵入を阻止するため、市内の道路が狭く曲がりくねっている事も多いです。
タクシーすら入りにくい所もあります。アビニオンもそんな都市の一つです。

 時間や料金、利便性、安全性を考慮してホテルまで徒歩、タクシー、バスで移動
してください。経験とカンがモノを言う場合もありますが、それが旅です。
人生と同じで、いつも予定通り上手く行くとは限りません。

切符の購入

 ちょっと話が外れましたが、先ほどの様なページを参照して、自分の旅程にあった
便を選択してください。なお、どの交通機関も遅れを考慮してタイトなスケジュール
は止めましょう。飛行機自体、2時間程度遅れる事はざらです。バゲッジの引き取り
にも1時間もかかる事がありますし、入国審査で待たされる事もあります。

 私の場合、NH205便は成田を11時25分に発ち、パリCDG1に到着が午後4時40分。
遅れと、バゲッジの引き取り・入国、ターミナル1から2への移動を考えて、
午後6時45分発のTGV5126を選択しました。幸い、スムースに乗れましたが。

 あとは、ページ上から人数や禁煙席、割引運賃などを入力して行きます。
残念ながら、出発2ヵ月前を2日過ぎたばかりなのに、割引運賃の席はなく、普通
運賃でした。最後に、クレジットカードの情報を入力。なお、切符は郵送で受け取る
のと、フランスの発券所で引き取る方法があります。郵送では紛失の恐れと、日本を
発ってから受け取れないので、現地ピックアップとしました。この場合、購入した旨
を証明できる発券番号の控えと購入時のクレジットカードがあれば、現地ですぐに
発券してくれます。(くれぐれも発券番号とカードを忘れずに。)


CDGターミナル2にあるTGV駅のカウンターで、発券番号(印刷されたページ)と
購入時のクレジットカードを提示すると、すぐに発券してくれました。

Classe 2は2等、VOIT 18は18号車、PLACE NOは座席番号です。TGV駅とCENTREの間は
AUTOCARつまりバスですね。SNCFの運行じゃないよと明示しています。
左上に数字の刻印があるのは、ホームの入り口で器械に入れて忘れずにバリデートします。
さて、駅の案内表示を見て、プラットホームと停車位置を調べます。
X号車はホームH付近で待つようにと案内が出ています。

 時間通りに入線してきましたが、平気で1時間45分も遅れている便がありました。
イタリアならいざ知らず、TGVの運行はかなりいい加減のようです。
最近ではイタリアの列車はかなり正確ですし、スペインもほとんど遅れないようです。
 乗り込むと、新幹線と同じくスーツケースを置く場所が狭いですね。難儀しました。
上手く置いて、シートに座れば、3時間ちょっと、東京ー大阪と同じ快適な旅。

T型パンタグラフで、編成を最前後の電気機関車で客車を挟んでおり、連結器の下に車輪が
あるなど日本の新幹線とは構成がかなり異なります。


アビニオンTGV駅

右の自動ドアを出るとパリ方面ホーム。

CDGターミナルFの様な駅舎はパリ方面だけで、下りは普通のプラットホームです。

エレベータはガラス張りのシースルーが一基、エスカレータは昇りが一基だけ。
混雑している時に大きな荷物を持っていると難儀します。
(帰りのCGD駅でのこと、TGVのプラットホームからターミナル循環バスの乗り場まで
 エレベータがたった一基しかない。そこに大荷物の旅客が殺到。何本待っても乗れない
 バケッジだけ押し込んで『fifth floor please!』と大声で叫んで人間は階段を駆け足で
 登りました。大汗ものだけど、乗り継ぎ時間がなかったら冷や汗モノです。
 フランス的合理主義とは『ケチ』の事で、頭はあんまり働いていないのです)


アビニオンTGV駅周辺の地図

アビニオンTGV駅と旧市街はバスで連絡しています。パリから来ると、降車ホームの下
左手に"CAR"と書いてあるのがバス乗り場です。右手に行けばタクシー乗り場。
レンタカーのオフィスはパリ方面(ガラスと鉄筋の駅舎のある側)のP2とP3の間にあり、
車はP3に止っています。出る時にはカードでバーが開きます。


アビニオンTGV駅と旧市街の南に隣接したCENTRE(中央)駅との間はシャトルバス輸送。

ここに表示したのは、CENTREからTGV行きですが、1時間に3〜4本でています。
コースタイムは14分ですが、多少の違いはあります。余裕をもって行動したほうが良い
でしょう。なお、CENTERの乗り場はCENTER駅前ではなく、城壁に入ったすぐ左です。
駅前でいくらねばってもバスは来ません! お気をつけ下さい。また、日曜日の午前中は
マーケットが開かれるので、乗り場が城壁外となります。当日、あわてないためにも、
前日にバス乗り場を確認しておくのが間違いなくてすみます。

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レンタカーについて

 プロバンスの遺跡は足の便が悪いので、時間を持て余している人以外はレンタカーが
お勧め。ハーツ(フランス語読みではエルツ)、エイビスなど日本から予約OK

 一つ問題は、オートマチックが少ないこと。事前にオートマチック希望として予約時に
明記しておくこと。左ハンドルでもマニュアルでも田舎道は問題ないが、都市部で、瞬時に
標識を読み取り、混んでいながら結構ハイスピードで走っているときは、車による相性の
馴れに時間がかかるマニュアルは使いずらい。今回はほとんど新品のオペル・ベクトラの
ディーゼルだった。ディーゼルは特有のノイズはあるもののドライバビリティーは良好で
燃費も良い。ヨーロッパで長距離走る乗用車の多くはディーゼルである。東京都知事の
石原君はもっと車を勉強した方が良い。ディーゼル=悪ってステレオタイプは無知の証拠。
自分で車を買って、運転しない人達には、庶民の考えや感覚は判らないんだろうね。

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プロバンスのローマ遺跡 地名をクリックするとジャンプ

プロバンスの歴史

 今ではフランスのプロバンス地方として、特に海岸線は名高い保養地ですが、その歴史は
かなり古く、紀元前600年頃にはマルセイユがギリシャの植民都市として栄え、紀元前125年
から121年のローマ軍の遠征で征服されガリア・ナルボネンシスというローマの属州になり
ました。紀元前48年にはユリウス・カエサルに征服され、その後、ローマ帝国の一部として
西のスペイン、フランス北部とイタリアを繋ぐ重要な交易ルートとして栄えました。
 上の地図で見ても判るように、プロバンス一帯にローマの町と道があったのです。今回は、
レンタカーでアビニオンを基点として、今も偉容を伝えるPont du Gardの水道橋、ニーム、
オランジュ 、ヴェゾン・ラ・ロメーヌ、アルル、グラヌムを2日で駆け足で廻ってきました。

Link to 現存する古代ローマ遺跡


Pont du Gard  5ユーロ紙幣

おそらく、この橋を念頭に置いてデザインされたのだろう。

上;右岸下流の袂より、下;右岸上流の展望ポイントからの眺め。

 何と言っても、ココがハイライトでしょう。ローマ技術の結晶です。紀元前19年の建設だと
言われていますが、近年までレベル1を車が通っていました。高さは48mもあり、落ちたら
死ぬので今は一番上は立ち入り禁止になっています。

 行き方はAvignonからN100を西にNimes方向へ、途中で高速道路A9の取り付け道路に
出ますが、高速を乗らずにそのままRemoulinsへ向かいます。その頃にはPont du Gardの
案内標識が各交差点に出ているので、それに沿って行けばグラン・エキスポの駐車場に到着。

お役立ちリンク集

link to プロバンスの道路地図

link to La Grande Expo グラン・エキスポ公式ページ

link to 南仏古代遺跡

link to 南仏写真館

link to 建築を訪ねて

link to ゴッホの足跡を辿る

link to プロバンスの風景

link to Roman bridges 190以上のローマの橋を集めたポータルサイト

link to Roman aqueducts ローマ水道橋のリスト

link to ローマ建築史

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Nimes ニーム (Nemausus)

Pont du Gardの西30km。アクチウム(エジプト)の戦いに参加した軍団の作った町。
紀元前30年頃、Colognia Julia Augusta Nemaususとして作られ、ワニがシンボル
町の入り口で歓迎してくれるのは初代皇帝アウグストス(写真アーチの奥に立像)。

Porta Augusto

ローマの町だから、円形闘技場があるのはお約束。風呂と給水施設もある。

Amphitheater

神殿もある

Maison Carree

ちょっと郊外のマーニュの塔に登ると町が一望できる。車だと登り口が判りにくい。

link to Nimus official site

link to 南仏古代遺跡(ニーム)

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Arles アルルー (Arelate )

円形闘技場はローマのどこも同じで写真はパス。神殿は柱が3本のみ。
ここは、中心部から西にちょっと行った古代博物館がお勧め。外観は現代建築。

南方に4km離れた所にはゴッホの跳ね橋もあるが、再建され黒くて奇麗でない。

Link to ユネスコ世界遺産(アルル)

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Orange オランジュ (Arausio)

 凱旋門、カエサルのガリア戦勝記念。

2000年経過しても、なおレリーフが奇麗に残っている。

 The Roman Theater.

古代劇場は今も使われている。背後の壁は高さ36m。
ルイ14世が“余の王国でもっとも美しい壁”と誉めたたえたとのこと。

壁の中央には初代ローマ皇帝アウグストスの立像が威厳を保つ。

Link to Arausio

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Vaison la Romaine ヴェゾン・ラ・ロメーヌ (Vasio)

オランジュから北東に30km。こんな所にもプロバンスのポンペイと言われる町がある。

有力者の家の床には奇麗なクジャクのモザイクがある。

Link to Vaison la Romaine official site

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Glanum グラヌム サン・レミ・ド・プロヴァンスの南2km

ゴッホの入っていた精神病院やノストラダムスの生家がある町から南へ行くと、

岩山の泉を中心に町が作られた。

道路から左にグラヌムの遺跡が広がり、右には町の門と霊廟がぽつんとある。

 町の門と霊廟

町の門は凱旋門風だったが崩れて17世紀に屋根がかけられた。

 霊廟のレリーフ

霊廟のレリーフは現在もかなり細かく見えている。

 神殿

神殿の柱は3本を残すが、以前は大半が埋もれていたらしい。

link to グラヌム

link to Glanum, Provance Beyond

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Avignon アビニオン

一時期、70年ほどローマ法王庁(今のバチカンに同じ)が置かれていた。

Pont St Benezet

牛飼いがお告げを受けて建設したサン・ベネ橋は洪水で流されて中途半端な状態で現在に
至る。「アビニオンの橋で踊ろうよ〜」と歌で有名だが「世界3大ガックリ」の一つ。
これだけを目的に行ったらがっかりする事は確実。
がっかりしたらPont du Gardを見に行こう!

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