地唄・筝曲・上方唄
衣笠一代
この度、思うところがあって、ウェブページを作りました。
私の志している音楽は、江戸時代から続く日本の古典音楽、唄・三味線・箏です。
江戸時代と現代では、政治・経済、文化、生活のすべてが劇的に変化しています。江戸時代270年間は鎖国によって閉塞した時代とのみ捉えられがちですが、私は実は現在の日本の基礎ができた時代ではないかと考えています。世界的にみても“日本が日本だけで充足していた”、という事態は政治・経済にとどまらず、文化、エコロジーなどの観点からも非常に特異なことではないでしょうか。外(外国)に向かず、内に内にと向かった日本人のエネルギーはその時代に豊饒な文化と精神をもたらしました。そして音曲のみならず、建築、美術、武道、茶道・華道など日本独自の文化が花開きました。
幕末から維新にかけての怒涛の時代、他のアジアの国々のように植民地主義に蹂躙されず(日本は列強の後を追いかけはしましたが)、独立国として独自の路線を目指した先人たちには江戸時代に培われた民族としての底力を感じます(その時に江戸時代の文化を全否定したのはどうかとは思いますが…)。
…話が堅くなりました。
明治維新から150年足らずの間に日本も世界もとてつもなく変化しました。技術革新による生活環境の変化によって時間の流れ方は速くなり、言葉の重みも軽くなっていきました。この生活に慣れ、普段は何気なく過ごしていますが、ふと古典の唄の中に人の想いの普遍性や江戸人の繊細さ感じます。どなたのものか記憶が定かではありませんが私の好きな言葉に「一日に30分は人間の作ったもの以外のものを見ること」という言葉があります。今の私たち(特に都会に暮らす者)にそれを実践するのはとても難しいことです。朝な夕なに植物を見たり、月や星を眺めるのに30分の時間が取れるかどうか…。音にもそれは言えます。私たちの周りには電子音が溢れていてーそれは温度も匂いもないデジタル化された音でー、生の音に触れる機会は少なくなってきています。唄や三味線、箏は座敷や演奏会場でも基本的にマイクは通さず生音で演奏します。人の声と木と絹と(ここから先は大きな声では言えませんが)象牙と猫と…そんな音、超アナログです。心が慰められるのは“人間の作ったもの以外”の音だからでしょうか。
などなど、思いつくまま書き綴りましたが、もしよろしければ他のページもご覧下さい。